![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjF6LoqfaP-KhC9gcowbBjPWOcmGhca6Lk66uZc42XmRIc1UhhJZSd4CMbVTPNJcDf282QHNqbIXpmCH78GYXgjDGep1l2sG6bS390vbSsRADk7opZ1aGIylJjhTeQ3InNMbZTWAIvD-3ge/s200/085min.jpg)
写真は、蹴上のインクラインを登りきったところにある琵琶湖疎水のワンショットです。このたびはインクラインを登るのではなく、南禅寺の水路閣から疎水を上流へ歩きました。田辺朔郎博士の像がおとなりの公園にあります。
おおよそ一世紀前、京都は明治維新や東京遷都に伴って人がいなくなり、産業も衰退したようです。その京都のまちに活力を取り戻すべく、琵琶湖疎水は計画されたとのことです。灌漑、上水道、水運、発電など地域を総合的に活性化させる社会的共通資本の整備です。
琵琶湖疎水はいま、京都の人とまちに完全に調和しているように感じます。わたしたちの創る社会基盤はすべからく、このように100年の時を経てもなお、人びとの日々の生活に資するものでなければならないと感じました。